『三十一文字シリーズ・其の三』
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   古今和歌集・巻二 春歌下 九十七番 
   「春ごとに 花のさかりは ありなめど あひ見むことは 命なりけり」 
                                         詠人知らず

     ―春の度に花の盛りはやって来ても、
           それに逢うことができるのはこの命が在る間のみ―

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何が面白い

散り始めた桜に心奪われているあたしへ向けられた言葉。
少しの呆れを混じらせて。
だって、ついこの間咲いたと思ったらもう散っちゃうんだもん、ちょっとでも長く見ていたいでしょ?
こんなにきれいなんだから。
来年も咲くって……判ってるけど、でも今年見る桜と来年見る桜は全然違うの。
――うん、桜は一緒なんだけどね。あたしが変わってしまうから、違うように見えるんだと思う。
あんなに大きくて、連なる雲みたいに高いところだったのに今はほら、こうして手を伸ばせば触れられそう。
それだけじゃない。
前は風に踊る花びらが笑ってるようで遊んでるようで、ただ楽しかった。
でも今は……

――あ、雨……?
さっきまで晴れてたのに……
え? ううん、大丈夫。寒くないよ。だからもうちょっとだけ、見ててもいい?


    優しい雨。
    音も無く、命を散らせることも無く、いっそ包むように、さやさやと。
    霧雨にけぶる花雲は輪郭を更に沫となす。


――桜、何だかこのまま消えてしまいそうだね……
もうすぐ全部散って、そしたら緑になって、葉が枯れたら雪を被って、次はまた蕾をつけて。
儚く見えても、春が来るたび命を咲かせる。
ねえ、ずっと昔から桜は同じなの?
――そっか、百年前でも今と同じように咲いてたんだ……じゃあ、百年後も変わらないのかな。
多分そうだよね。想像しか、できないけれど。
でも、その時でも殺生丸さまはきっと……

ふわりと身体をくるんだものに少し驚く。
そのすぐ後に聞こえたのは、そっけなく気遣ういつもの声。
無性に、泣きたくなった。
向き直り、ぎゅっと力の限り抱きついて額を胸に押し付ける。
何度も何度も繰り返してきた言の葉を伝える為に。
小さな声でもあなたには届いたようで、大きな手が背に回された。
温かかった。

光の気配に顔を上げて振り向くと、薄い雲を通した斜陽が射し込んでいる。
舞う花びらがそれに透けて淡く瞬く。
一枚、掌に乗せてみたら。
なんて軽いんだろう……まるで何も、無いみたい。
――ねえ殺生丸さま、来年もまた見に来ようね?
再来年も、その次も、今までと同じようにこれから先も。
約束。


    夕霞、柔らかな光が降り注ぐ桜の園。
    はらはら揺れる小さなかけらは、遠ざかる二つの影を見送るように軽やかに。
    地を薄紅に染めて、やがては次の命の糧となり、訪れる者たちを待っている。


【終】

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