「ずっと一緒にいたい」とお前は言う。
その真っ直ぐな瞳で、何の迷いも無く。
お前にとっての『ずっと』は私の『束の間』だ。
それを判っているのか?
私とお前。妖と人。
その余りに違う生を判っていながら、尚その言葉を紡いでいるのなら、愚昧と言う他無い。
過ぎてしまえば、現(うつつ)であったかさえも曖昧になるであろう、泡沫の時。
その中で望む永遠など、霞よりも淡く淡い、夢と呼ぶにもおこがましい程の幻に過ぎぬ。
変わらぬものなど唯一つとして無い。
『今』この時を繋ぎ止めておくことなど何人も叶わぬものを。
それでも人間は夢を見る生き物なのか?
「時が止まれば良い」と。
愚かだ。
りん、お前もそうなのか?
永遠の『今』を望むのか?
「置いて行かないでね」とお前は言う。
一抹の不安の色を瞳に滲ませて、いつになく真剣に。
置いていくのは『私』ではない、『お前』だ。
それを判っていないのか?
つくづく、莫迦な事を言うものだ。
どんなに強く願ったところで、宿命(さだめ)は変えられぬ。
私が置いて行かずとも、容赦なくお前は私を置いて逝くのだ。
この私を囚えたまま。
いつか来る『その時』に怯え、考える事を拒んでいるのは私やも知れぬ。
いつ朧になってしまうのか判らぬお前を、確かなものにするにはどうすれば良い。
それでもお前は願うのか?
「ひとりにしないで」と。
愚かだ。
りん、お前は自分自身が私を『ひとり』にさせるのだと何故気付かない?
「―お前の望みは何だ?」
「殺生丸さまと、ずっと一緒にいたいよ。りんの心に殺生丸さまがいるのと同じくらい、殺生丸さまの心にりんがいられたら、りんが死んじゃっても、きっとずっと一緒にいられると思うから」
「……だから、りんのこと置いて行かないでね?」
判っていないわけではなかったのだ。
お前の望む永遠は、『今』という名の虚像を閉じ込めることなどではなかった。
心に在ること。
心というものさえ、目には見えぬ不確かな存在。
更にそこにある想いなど、どれだけ儚いものなのか。
だがそんな戯言であっても、あえて溺れるのも、また一興やも知れぬ。
心に想うことがお前と共にあることならば、その願いはとうに叶えられている。
お前以外に、この私を囚え得るものなど未来永劫ありはしない、置いていくことなど有り得ない。
この私の全てを懸けて、誓う。
だからお前も誓うがいい。
ずっと一緒だ、と。
【終】
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