『この、一瞬を。』





暑い夏が終わり、大気も日に日に涼しさを増してきた。
どこまでも高く青く澄み渡っていた空は朱(あけ)に変わり、浅紫の薄雲が棚引いている。
その命を燃やすように色づいた紅葉や楓が更に紅く染まって風に舞う。
そんな、自然の造りだしたまさに芸術といえる光景の中に、少女がひとり佇んでいる。
――いや、よく見ると少女ひとりではない。共に旅をしている妖怪たちも一緒だ。
見事な夕陽を前に、少女は「きれいだね」と感嘆の声を漏らしているが、永き時を生きる妖にとっては何の意味も為さぬらしい。
少女からすこし離れた所で、苔色の肌をした小妖怪はさも下らなさそうな顔をして少女を急かす。
白銀の大妖は常と変わらぬ無表情―――我関せず、といったところであろうか。

「えぇい、りんっ! いつまでじーっとしておるんじゃ! 置いてくぞ!? 殺生丸さまをお待たせしてはいかんっ!!」
邪見は、いつ主の機嫌が悪化してしまうかとハラハラしている。
―――が、当の殺生丸は全く意に介していないようだ。
表情は変わらないが、纏っている空気は決して剣呑なものではなく、むしろ穏やかと言ってもいい程。その視線は日の沈む方を向いているのだが、かといって夕陽を眺めているわけではないらしい。
金の瞳は何を映しているのか?


殺生丸は、飽きもせず夕陽に見とれているりんを呆れにも似た心持ちで見ていた。
毎日変わらず、ただただ繰り返される自然の摂理にどうして感動できるのか、
どうして《きれい》などという単語が出てくるのか、全く彼の理解の範疇を超えていた。
太陽は朝が来れば昇り、やがて沈めば夜が訪れる……その営みは今後何百年、何千年経とうと変わることはないだろう。
今日も明日も同じこと。感慨など持ちようもない。
ばかばかしい、とばかりに歩き出そうとした殺生丸にりんが話しかける。
「ねぇ殺生丸さま、すっごくきれいな夕日だねー……空も山も、殺生丸さまも邪見さまも阿吽も、それからりんも、みんな赤いよ」
「――何の違いがある」
「え? 全然ちがうよー? ん〜たとえばね、昨日は少しくもってたからぼんやりした色で夕日がよく見えなかったし、その前は今日みたいな真っ赤じゃなくて柿みたいな色だったし……毎日ちがってるよ。それにね、夕日ってすぐに終わっちゃうでしょ? 赤くなってきたな〜って思ったら、もう夜だもん。ちょっとの間しか見れないんだから、しっかり見てあげたいんだ。お日様もね、自分のこと見てほしいからあんなにまぶしく光ってるんだと思う」

人間の取るに足りない感傷―――そう思いつつも、殺生丸は「くだらん」と言い放つことができなかった。
りんの言った夕陽への想いは、そのまま殺生丸のりんへのそれと直結していたから。
出会ってからまだ一年にも満たないというのに、りんは日々少しずつ成長している。
妖怪である己と比べると、怖ろしいほどの早さで……そう、まさに一瞬の輝きだけを残して消えてしまう夕陽の如く。
人間は短い生しか持たぬと判っていたが、そのあまりに生き急ぐ様に今まで感じたことのない不快感が殺生丸の中に生まれていた。

そして、いつの間にか無意識のうちにりんの姿を目で追っているのだ。
まるでりんの一瞬一瞬を目に焼き付けるように。
そこまで殺生丸が自覚しているのかは定かではないが、儚い人の命のりんに対して何かしらの感情が芽生えているのは確か。


昼と夜の間、刹那の瞬間(とき)。
だからこそ美しく、心奪われる。
すでに夕闇が広がり始めた空の下、妖怪と少女は付かず離れず、今夜の塒へと向かって歩いて行った――。

【終】


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