『六花』





――白い。
少し前まで晴れていた空も、大地も、眼には映らぬ筈の風までもが白く舞っている。
まるでこの世全てが己のものであるかの様に、何もかもを同じ色に塗り変えていく。
これ程までに世界を覆い尽くしておきながら、まだ飽き足らないとでも云うのだろうか、冬も終わりかけだというのに、今尚空一面から無尽蔵に生み出され続けている雪。
それは、彼らの上にも等しく降りて来る。


「りん! いい加減にせんかっ! 後で具合が悪くなってもワシは知らんぞ!?」
雪遊びに興じる少女を急かす小妖怪の烏帽子は雪を被り、本来の色とは正反対のものになっている。
それは少女も同様で、肩の部分の市松模様は薄くなり髪も所々白くなっているのだが……
「大丈夫だよ! これがあるもん♪」
そう言って片足を折上げ、足裏を後ろにいる邪見に見せる格好をとる。
邪見の眼に映っているのは、今まで無防備に晒されていた素足ではなかった。
はしゃぐりんとは逆に深い溜め息をつき、そろりと主に眼を向ける。
剥き出しの鋭い枝に柔らかな雪花を纏った一本の大木、その幹に背を預け立っている彼らの主もまた、白。
――いや、限りなく銀に近いその白は雪によるものでは決してなく、妖自身の色。
深い輝きを湛えた髪や妖毛、それらを持つ妖の前では白雪さえもくすんでしまう。
その雪よりも冷たい顔の、でも以前より少し角が取れたように感じる主を見て、邪見はまたひとつ、今度はそうっと息を吐いた。
その心の内を表す様に、白は不安定に揺れて消えていく。
(……りんの好きにさせるお積もりだろうが……大丈夫か?
食糧の調達も終わったのだから、早く戻った方が良いに決まっとるし、草鞋だけで足を守れるわけでもなかろうに……はぁ、どうせシワ寄せは全部ワシに来るんじゃろうなぁ……)

今まで、りんはずっと裸足のままだった。
特にそれで不便を感じていたわけでもなかったのだが、冬となれば流石に無理が生じてくる。
刺す様な冷気は幼い皮膚にも容赦は無く、すぐに霜焼けを作ってしまった。
りんは口に出さなかったが、震える赤く腫れた手足はその辛さを訴えていた。
それを見過ごすことなく薬と草鞋を自分に用意させ、更に気温の安定している洞穴を冬の宿りに定めた主。
りんがはち切れんばかりの笑顔で喜び、何度も礼を繰り返したのは言うまでもない。
それを向けられた自分はどこかむず痒く、ふんと顔を逸らしてしまったのだが、主はにこにこと笑う少女をずっと見下ろしていた。
りんから空に視線を流した邪見は、次から次へと落ちて来る綿雪にいつの間にか思いを巡らせていた。
「……何やら、雪と人間は似ておりますなぁ……」
「――どこがだ」
まさか主から反応が返ってくるとは思ってもいなかった。
俄かに慌てて言葉を足す。
「い、いえ……雪なぞ、ひとつひとつは触れた瞬間に消えて無くなる程弱々しいものでございます。
そのくせ、数を為した途端急に強気になって世界を埋め尽くす様が……その、似ておる様に感じまして……ほんの戯言でございます、申し訳ありません!」
また余計な事を言って機嫌を損ねてしまったかと平身低頭する従僕を余所に、殺生丸の意識は既にりんへ向けられていた。
真っ白になりながら雪で何かを形作り、冷えた手を吐息で温めている。
紅潮した頬の横顔は俯きがちで、舞い落ちる雪に閉じ込められたその姿は――

「―りん!」

気付けば、名を呼んでいた。
弾かれた様に振り向いた、雪と同化していた少女が己の元へ帰って来る。
意味も無く逸った心は、少女の匂いが近付くにつれて落ち着きを取り戻していった。
「ごめんなさい殺生丸さま。嬉しくて、つい遊びすぎちゃった……」
強い口調で呼ばれた訳を《怒っている》と解釈したようだ。
軽く息を吐いた殺生丸は片膝をつき、りんを未だに覆っている雪を払って頬に触れた。
それは、椿のような色からは想像もつかぬ程に冷たい。恐らく、手足も同じ状態だろう。
「殺生丸さま? ……わっ!?」
急に身体が浮き上がる感覚に、驚きの声を上げる。
それと同時にふわりとりんを包んだものは雪と似た、でも全く違う温もりだった。
「先日の二の舞になりたいのか」
「え……ううん、ごめんなさい……」
「謝れと言っているのではない」
「……はい、ありがとう殺生丸さま」
漸く見せた笑顔を合図に、殺生丸はりんを抱き上げたまま歩き出す。
殺生丸の機嫌が悪くない事を知ったりんは、嬉しそうにもこもこに包まった。
そうして暫くは大人しく身を預けていたのだが、視界の端を横切ったものに思わず後ろに向き直る。
「な、何じゃりん急に! 殺生丸さまの肩から身を乗り出すなぞ失礼だろうが!」
多少腑に落ちないでもなかったが、主がこの少女に甘いのは今に始まった事ではない。
そう思い、やれやれと少女の代わりに食糧を乗せた阿吽を引いて後ろを歩いていたら、突然少女が顔を見せたのだ。
しかも主の肩を支えにして腕を突っ張っている。
こんな事が許されるとは思えない邪見にとっては当然の言動だったのだが、主の一睨みで口を噤まざるを得なかった。
「殺生丸さま、あれ見て! もう蕾がふくらんでる! 何ていう花かな?」
 りんが指差す先にあったのは雪を纏い、薄紅の蕾をつけている古木。
「……梅だ」
「梅っていうの? まだ寒いのにすごいな……花が咲いたら、すごく綺麗だろうね」
「この地を離れるまでには咲く」
「え? ……もしかして、咲いたら連れて来てくれるの?」
それ以上殺生丸が口を開くことはなかったが、金の眸は《是》と言っていた。
自然、りんの表情も蕾のように綻んだ。
今まで何度聞いたか判らないありがとうは、その度に殺生丸を温かく包む。
りんを抱え直して、再び歩き出す。
花開くまでにはもう暫くかかるだろうが、妖の嗅覚は今にも零れ落ちそうなその芳香を捉えている。
それは梅だけではなく、少女自身も同じこと。
踏み締める雪の下の其処彼処から、命の芽吹く匂いが目覚め始めていた。


きっと、春はもうすぐ。


【終】


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