『初笑』





薄靄のかかる山々を、暁光が射し染めていく。
色を取り戻した世界は慶びに奮え、高らかに始まりを告げる初日を諸手を上げて迎える。
日々繰り返される営みの中でも特別な意味を持つそれは、より一層の輝きを放っている様だ。
人々は新たな年に思いを馳せ、無事に歳を重ねられた事を祝う。
その厳かな空気は此処でも同じ、筈なのだが……


「あははははっ! 面白い〜っ♪」
「だよねえ!? おっかしいよねぇ、コレ!」
「ヘン〜〜〜っ!!」
「きゃはははっv」
この、妙に盛り上がった空気は何なのか?
見れば、会話の主のひとりである異世界から来た少女が、赤衣を着た少年の犬耳をくいくいと引っ張り、もうひとりの声の主、退治屋の娘はその様をお腹を抱えて笑っている。
当然少年の眉間には皺。見慣れた少年の犬耳だろうに、何がそんなに可笑しいのだろうか?
全く声が聞こえない法師と子ギツネ妖怪、あと小屋の主の老巫女はと云うと、とばっちりを受けぬ様に視線を外し、素知らぬ顔でおせちを囲んでいる。
その中で、健気にも少年に助け舟を出そうとする少女がひとり。
「あ、あの〜かごめさま、珊瑚さん? もう……」
「止めておきなさい、りん。こちらにまで被害が回って来るだけです」
「でも……」
「大丈夫ですよ、御屠蘇を少し飲んだだけですからその内落ち着くでしょう。 何の気兼ねもなく、こうして新年を祝う事ができるのです、少々羽目を外しても罰は当たりませんよ」
法師のにこやかな笑顔に促され、今にも血管が切れそうな少年を気にしながらも、りんは雑煮を再び口に運んだ。

壮絶な戦いの果てに奈落は滅び、弥勒と珊瑚は祝言を挙げた。
楓の村に居を構えているのだが、今日は皆で新年を祝うため楓の小屋に来ている。
その席に、もう家族同然と思っている少女を招くのはごく自然の成り行きと言えた。
そして何故か、少女の横には呼んでもいない小妖怪。
本人曰く、《りん一人を貴様らに預けては何があるか判らん!》とのこと。
だが既に酔いが回り、言う事も支離滅裂、完全にただの酔っ払いと化しているので本来の用は為していない。
主である妖はこういう席に来るわけもなく、村の外で番けn……もとい、少女の帰りを待っている。

「あ゛ーーっ!! お前らいい加減にしろっっ!!」
  ―どうやら、そろそろ限界の様である。
「あっもー何なのよ、良いじゃないちょっとぐらい! ホント気が短いんだから! そーゆーとこ、殺生丸とそっくりよね〜。ったく、似ないでいい所はしっかり似てるんだから!」
「あいつなんかと一緒にすんなっ!!」
「そうじゃっ! 殺生丸さまと犬夜叉なんぞを同類扱いするなど、言語道断じゃ!」
「一緒でしょ〜? 刀々斎のおじいさんが《バカ兄弟》って言ってるけど、ほんっとにその通りよ。ねぇりんちゃん!?」
  ―とうとう、りんにまで矛先が回ってきた。
「えっ……と……りんは……殺生丸さま、いつも優しいし……別に……」
  ―完全に、かごめの迫力に気圧されている。更にもう一方からも別の気迫がりんに迫る。
「良い子だよねぇ〜りんはぁ!あんっな無愛想で傲岸な奴つかまえて《優しい》なんてさ〜! あ〜でも、あっちこっちに愛想が良すぎるのも考えものだよねぇ?」
背筋が凍るような据わった眼で夫を睨む妻。
もう、今の二人に逆らえる者は誰もいない。
《その内落ち着く》のではなかったのか?
収まるどころか、勢いを増している様にさえ思えてくる。
貼り付けた様な笑顔を引き攣らせながら、酒瓶の在処を必死で探す弥勒。
が、見つけたそれは女二人の間にしっかりと陣取り、とても自分が手を出せる状況ではない。
どうする?
このまま酒が尽きるまで、もしくは二人が酔い潰れるまでひたすら耐えるしかないのだろうか……?
誰もがそう諦めた。
だが、生憎この少年はそんな芸当ができる程精神的に大人ではなかった。
止せばいいのに、かごめの手から無理に酒瓶を奪い取る。
結果は当然……

「何すんのよ犬夜叉!? ―おすわり! おすわり! おすわり〜っっ!!」
「べふ!!」
珍妙な声と共に、床にどんどんめり込む。
細かく痙攣する少年の手から酒を奪還したかごめは、何事もなかったかの様に酒宴を再開した。
「そういえばさー、りん、少し背が伸びたんじゃない? 今日で幾つになったの?」
「え? りんちゃんって元日が誕生日だったの〜?」
「たん、じょうび?って?」
  ―いつの間にか二人の間に挟まれてしまったりん。
聞き慣れない単語に、首を傾げる。
「生まれた日のことだけど……え? どゆこと、珊瑚ちゃん?」
「だって、毎年正月に歳を数えていくだろう? だから、りんは幾つになったのかな〜って……かごめちゃんの国は違うの?」
「うん、皆それぞれ生まれた日にちが決まってて、その日にお祝いするからねー」
「へえ〜?」
そう、現代では誕生日で歳を計算するのだが、この頃は皆元日に一つ歳を足していく数え年である。
だから正月は、無事に歳を重ねられた事を祝うものでもあった……とは余談。
普段飲まない酒に、完全に飲まされている二人にそんな事は関係ない。

「でぇ? 幾つになったのー、りん?」
「う〜ん……多分……十才?」
「多分ってなに〜? あはははははっ♪」
  ―本当に、何が可笑しいのだろう?
「おっ母たちが生きてた頃は判ってたんだけど、それからは忘れてたし……」
「殺生丸たちはぁ? 訊いたことないのー?」
「うん」
「も〜あの朴念仁ってば! でもまぁ、あいつにそんな事期待する方が間違ってるかしらね〜!」
「そうだよねぇ……りんも大変だよ、うん!」
「え、そんなことないよ? 毎日楽しいし……」
「偉い! 偉いわ、りんちゃん! あ、そーだ、良いものあるんだった!」
リュックから水筒を取り出し、中の乳白色の液体を注ぐ。
湯気と一緒に漂ってくるのは甘い匂い。
「かごめさま、これ何?」
「甘酒よ〜。御屠蘇はさすがに駄目だからね、これなら大丈夫でしょ♪」
  ―そう言うかごめも未成年なのだが……いや、黙っておこう。
「いいにおい……」
「でしょ? はい、どうぞ〜v」
見慣れない容器に注がれた未知の液体を渡され、暫し見つめる。
ほんの少し動かすと、表面で波立つ光がとろりと揺れ、まろやかに広がる芳香が鼻腔を刺激する。
それらに誘われる様に口に運ぶ。
喉を伝う熱い甘味は身体の芯まで染み渡るようだ。
「おいしい……」
「良かった、いっぱいあるからねっ!」

(ああ、とうとうりんまで餌食に……)
注がれるままに甘酒を消化していくりんを、憐憫を込めて見守る一同。
(どうするんじゃ、弥勒。このままでは……)
(どうもこうも、私如きの力では止められませんよ。)
(誰なら止められるんじゃ?)
(あの中に割り込めるとしたら……兄上殿くらいしかいない様に思いますが。)
(しかし、あいつは村の外じゃろ?)
(無理、でしょうな……)
顔を合わせるのは出来れば避けたいと思っていた犬夜叉の異母兄。
だが今だけは、心の底からあの怜悧な顔を見せて欲しい。

―と、思っていたら、戸口の方から覚えのある強大な妖気が近付いて来る。
心の声が通じたのか否か、現れたのは件の保護者。
こういった騒ぎは好まない筈だが、一体どういう風の吹き回しなのか?
「何をしている」
「は? 見て判るでしょ? お正月のお祝いしてんの! あんたの目って節穴ぁ?」
 ―素面ではとても言えない自殺行為。
酒とは恐ろしいものである。
「そんな事を訊いているのでは無い、りんに何をしている」
 ―酒気が入って、りんの匂いが微妙に変化したのを目敏く嗅ぎ取ったらしい。まさに犬。
「何って、甘酒あげたんだけど? 良いでしょ〜? これ位なら体が温まって丁度いいわよ」
「余計な事をするな」
「余計な事って何よ!? も〜あんたって、いっつもそうなんだから! こんな機会あんまりないのよ? お正月に甘酒飲んで、何が悪いって言うわけ!?」
「それが余計な事だと言っている」
「はあぁぁ!? りんちゃんはあんたの所有物じゃないの! りんちゃんだって今日で1コ大きくなったって言うのに、いつまでも過保護過ぎるわよっ!」
「何を訳の判らん事を」

双方、一歩も譲らない。
お互い間髪入れずに言い合うので口を挟む隙も無く、皆ここでも遠巻きに見ている事しかできない。
口喧嘩としてはまず有り得ないこの組み合わせに、せっかく温もっていた体も一気に冷える。
いや、口喧嘩で済めばまだ良い。
以前に比べれば大分丸く(?)なったとは云え、気が短いのも加減を知らないのも容赦が無いのも相変わらず。
かごめの方も、やられっ放しで終わる様な性格ではない。
殺生丸なら止められると思ったのは大きな間違いであった。
――血を、見るのだろうか?

とその時、吹き荒ぶ嵐の中に一条、救いの光が差した。

「殺生丸さまっv」
可愛らしい声の主は勿論りん。
普段は滅多に殺生丸に触れようとはしないりんが、何と正面から抱きついてきたのだ。
顔が半分指貫に埋もれた状態で殺生丸を見上げ、頬を薄紅に染めながら蕩けそうな笑みを向けている。
酔っているのは間違いなく、無自覚の内での行動である。
が、余りの絶妙な間に周囲から無音の拍手喝采が贈られた。頼みの綱は、りんだけだ。

「殺生丸さま、迎えに来てくれたのっ?」
 ―最上の笑顔を特等席で見ている妖は至って平静だが、眸にはもうりんしか映っていない。
「……行くぞ」
「はーい♪ 邪見さま、行くよー? みなさん、色々ごちそう様でした! さよならっ」
素直に返事しつつも、ちゃんと別れの挨拶を(ついでに邪見も)忘れずに、りんも続いて小屋を後にした。
僅かでも酒気が入っているというのに、しっかりした子である。
りんが来るや否や、もう用は無いとばかりに踵を返した保護者とはえらい違い。
その眸には、未だ意識が戻っていない異母弟も不満げな巫女も、その他諸々も入る余地は一切無かった。

嵐の後の何とやら、徐々に落ち着いてきた空気の中で楓がポツリと独り言。
「……どうやら今年も、小屋の修繕を繰り返さねばならんようじゃな……」
結局、最後まで少年は床にめり込んだままであった。



【おまけ】

「――……先刻……」
「なに? 殺生丸さま?」
「あの女が言っていた、お前が一つ大きくなったと」
「うん! お正月になるとね、歳をひとつ足していくの! 殺生丸さまは何歳になったのー?」
「妖にそんな風習は無い」
「え、そうなの? じゃあどうやって歳数えるの?」
「数える必要も無い」
「そっかー……確かに殺生丸さま、全然変わらないよね。りんはね、背が伸びたねって言ってもらえたの! 早く、もっと大きくなるように頑張るからね♪」
「……まだ、いい」
「なんで?」
「逸らずとも、ゆっくりでよい」
「? ……はーい。

そう、ゆっくり。只でさえ長くはない人の命。
それを更に早める必要など何処にも無いのだ。
止めようのない事であっても、それでも、少しでも長く、この時を――……。

【終】


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