『6 花』





その日、りんは野原でいつもの留守番をしていた。
阿吽は殺生丸の供をしているので、守り役は邪見だけ。
だが当の本人はこれまたいつもの如く舟を漕いで居眠りをしている……全く、用をなしていない。
常と変わらない日常の光景だったが、一つだけ違うところがあった。

それは、りんがたくさんの花が咲いているにも関わらず、花冠も作らずにうろうろ歩き回っていること。
キョロキョロしながら、時々しゃがんでは小さなため息をついてまた立ち上がって歩き出す。
そんな動作をさっきからずっと繰り返しているのだ。
いつもなら、その場所に咲いている花々で楽しげに花冠を作りながら殺生丸の帰りを待っているというのに。
一体、どうしたことなのか?

「はぁ〜……無いのかなぁやっぱり……」

「どうしたの?」
「わあっ!?」
 突然、真後ろで聞こえた声に心臓が飛び出そうになる。
「……ご、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど……」
まだ鼓動がおさまらないりんが振り向いた先にいたのは、犬夜叉たち一行。
声をかけたのはかごめの様で、すまなそうに言葉を続ける。
「ごめんね、ずいぶん深刻そうな顔をしてたから……何かあったの?」
「かごめさま、こっちこそごめんなさい! りん全然気付かなくって……」
「そんなことはどうでも良いわよ。よっぽど一生懸命だったのね」
「――あのね、りんお留守番のとき、いつも花冠を作ってるの。それで、殺生丸さまが帰って来たらあげようと思って渡すんだけど……今まで受け取ってもらえたことがないんだ。だからね、珍しい花だったら受け取ってくれるかもって思ったの。でもみんな摘んだことのある花ばかりで……」

そこまで言ってりんは俯いた。
たとえ極楽浄土に咲く花であろうがなんであろうが、殺生丸に受け取って貰うのはこれ以上ない至難の業だ。
そうは思うのだが、流石にこの少女に面と向かってはっきり言うのは憚られる――筈だが。
「へっそんなモンあいつが受け――」
「おすわりっ!」

 『びったーん』

相変わらずこういう時の配慮が足りない隣の少年に容赦ない制裁が飛ぶ。
地面にめり込む少年を尻目に、かごめは何かないかと知恵をしぼり、パッと珊瑚に向き直った。
「珊瑚ちゃん、ちょっと雲母貸してくれない?」
「え……別に良いけど、どこ行くの?」
「家に帰るの! すぐに戻るから!」
「って、おい! 何勝手に……!」
「まあまあ、良いんじゃないですか? お前にとっても都合良いでしょう?」
「どういう意味だよ?」
「今夜は朔の日でしょう?」
「…………」

そう、今夜は朔の日、犬夜叉が一晩だけ人間になる日。
危険が普段の何倍も増すこの日ばかりは、できるだけ安全な所で過ごした方が良いに決まっている。
楓の村は、老巫女の守護によってか、他と比べれば戦や妖怪の危険が少ないところだ。
りんの姿が視界に入るまで存在に気付けず、うっかり出くわしてしまったのは既に鼻がきかなくなってきているからだった。
反対する理由がなくなってしまったので、日暮れ前にもう一度ここに来るから、とりんに約束して全員村に戻ることになった。
殺生丸が帰ってくるのは、日の落ちる頃か、その後が殆んどだとりんに聞いたからである。
――結局、邪見は最初から最後まで起きなかった。


  *  *  *


――現代、日暮神社。
自宅の庭で、かごめは悩んでいた。
庭には小さいながらも花壇があり、ママが世話する数種類の花が植えてある。
どの花を持っていこうか?
花屋で買おうかとも思ったのだが、いかにも人工的に栽培した感じのするものは彼らにそぐわないと思った。
単に、りんにプレゼントするならポピーなどの可愛らしいものでも良いのだが、「殺生丸」が絡んでくるなら話はまったく別になる。
かごめも、本気であの妖怪が花を受け取るとは思えないのだが、それでもほんの少しでも可能性のあるものにしたい。

(色は落ち着いたものが良いよね……あんまり大きい花じゃない方が良い気がするし。それに、戦国時代にはまだ無い花にしたいし……)

悩みに悩んだ末、ある花に目が止まった。
それは、紫色のチューリップ。
チューリップというといかにも女の子らしいイメージがあるが、これはさほど大きくもなく、花弁の先が白で淡く縁取られ、主張しすぎない清楚な美しさがあった。
おまけに、チューリップは球根。
茎から切って三本くらい持っていっても、植えるわけではないのだから根付くことはない。
「これだ!」と思ったかごめはママにことわり、開ききる前で形のきれいな三本を選り、紐で束ねて大急ぎで戦国時代へとんぼ帰りした。


  *  *  *


一方、りんは期待半分、不安半分で待っていた。
思いがけず協力して貰えることになったが、果たして受け取って貰えるのか?
花を渡そうとしても一瞥されるのが精一杯、
それを別に不満に思っているわけではないのだが、やっぱり受け取って貰えたほうが嬉しい。
そうしたら、りんの気持ちも、伝わるような気がするから。
(殺生丸さま、今まで花を間近で見たことないだろうしなぁ……こんなにきれいなんだもん、見てほしいな。それに……)

だんだん日が傾き始めた頃、雲母に乗ったかごめがやって来た。
手には、紫のチューリップの花束。
りんが目を輝かせる。
「うわぁ……すごくきれい。こんな花見たことないよ! 本当にもらっても良いの?」
「当たり前でしょ? そのために持ってきたんだから」
「ありがとう、かごめさま!!」
弾けんばかりのその笑顔。
りんの気持ちが通じるかどうか判らないが、どんな花もこの笑顔に勝るものはない様に思う。
案外殺生丸も――流石にそれはないかと思い直したかごめは、りんに花を植えないようにだけ伝えて、荷物をまとめるため再度井戸をくぐっていった。


かごめが帰ってすぐ、殺生丸は帰ってきた。
りんを置いてきた野原に、かすかに残った愚弟らの臭いにほんの少し眉をひそめる。
「あっ殺生丸さま! お帰りなさい!!」
いつもと同じりんの出迎え。
そしてまたいつもの様に受け取られることのない花を差し出す――。
が、いつもならすぐに視線を外す殺生丸が、今日はじっとりんと見慣れない花を見ている。
「あのね、殺生丸さま。この花、ちゅーりっぷって言うんだって。かわいい名前でしょ? かごめさまの国にある花でね、そこにしかないんだって! すごくきれいなの、殺生丸さまちょっとだけ見てくれない?」

――くだらん。
珍しい種の花だからといって、何だというのか。
すぐに散って儚くなる弱さに違いはないだろうに、何をそんなに思いつめた瞳(め)をする必要がある?
人間の考えることは判らぬ――

そう思ったのだが、あまりに真剣なりんの瞳に目をそらすことができずに、それとも、ただの気まぐれか――ふいに、りんの手から花束を受け取った。
りんは一瞬ポカンとしたが、次の瞬間には先程かごめに向けた笑顔よりも更に数段上の笑顔を殺生丸に向けた。
もう、嬉しくて嬉しくて仕方がない。
その極上の笑顔を見ていた殺生丸は、もう一度花を一瞥して……りんに手渡した。
「ありがとう殺生丸さま!」そう言って、りんは喜んで受け取る。
返された、とは思っていない。
殺生丸は確かに、りんの手から花を受け取ったのだから。
りんは、いつも殺生丸に花を差し出す。
精一杯の気持ちをこめて。
「帰ってきてくれてありがとう」
「ずっと一緒にいたいな」
「大好き」
そんな気持ちを託した花を受け取って貰えた。
そして、その花をまたりんにくれた。
紫のチューリップはりんにとって、これ以上ない宝物となった。
だが花を持ち歩くことはできないので、花びらを二枚ふところにしまって、残りは近くにあったお地蔵さまに供えた。
鮮やかな色は数日のうちに色褪せたが、りんにはいつまでも大事な宝物だった。


  *  *  *

再び家に帰ったかごめは、ママに訊かれた。
「ねえ、かごめ。あの紫のチューリップ、誰にあげたの?」
「りんちゃんっていう、小さい女の子だけど?」
「あら、犬夜叉くんにあげるのかと思ったんだけど……」
「犬夜叉!? あいつは花より団子ってヤツだし、花を見てもなんの感慨も湧かないと思うけど」
「ふふ、そうじゃなくって。紫のチューリップの花言葉はね、《永遠の愛情》なのよ。プロポーズに使うこともあるんだから」
「へ?」
(ちょっと待って、《永遠の愛情》って……プロポーズって……きゃ〜私ってばなんて花を……しかもりんちゃんから殺生丸へ……?)
しばらく考え込んだかごめだが、現代の花言葉を二人が知ってるわけがないし、戦国時代に花言葉は関係ないと結論づけ、りんちゃんが喜んでたんだからそれで良いよねと、複雑な思いにかられながらも無理やり自分を納得させた。
殺生丸がそれを受け取り、更にそれをりんに渡したことは、もちろん知る由もなかった。

【終】


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